語調を揃える
2016年2月20日昨日(2016年2月19日)の日経新聞朝刊の文化面(「私の履歴書」の隣)に飯島敏宏氏という演出・脚本家が「ウルトラマン誕生大作戦」という記事を書いていた。ウルトラマンの創成期から脚本作りに関わってきた人らしい。
その内容は勿論面白いが、私が注目したのはその「語調」だ。「ですます調」と「である調」が混在している。基本的に「ですます調」だが、ところどころ「である調」になっている。
この方はプロの脚本家だからうっかりではない。意図的に混ぜているのだろう。
ということで、今日の記事は「である調」にしてみた。
これは私の憶測だが、飯島氏は基本的には「ですます調」で通したかったが、紙面に限りがあるので、全体の調子を乱さない範囲で「である調」を入れ、調整したのではないだろうか。
英語には「語調」の問題はない。しかしこれを日本語に翻訳しようとした瞬間、まずは「語調」をどうするかという問題が出てくる。日本語翻訳者にとってこれは負担だ。加えて文芸作品などになれば “I” を「私」とするのか、「僕」、「俺」、「我が輩」とするのかに悩むことになる。
幸い法務翻訳の場合、「である調」が普通なのでさほどの悩みにはならない。
しかし、それでも「ですます調」にする必要のある文書がある。
典型的なのは、各社のホームページにある「利用規約」などの法務的文書だ。これはほとんど「ですます調」になっている。
今回改めて、大手企業や外資系企業のサイトをいくつかのぞき、ざっと「規約類」に目を通したが、「である調」は一つもなかった。
これはやはり、ホームページという営業用ツールでは、本来ビジネスライクであるべき契約や規約であっても、当たりを柔らかくする必要があるからであろう。
私もホームページに掲載される規約類の英文和訳は幾度も手がけたが、いずれも「ですます調」にした。
先日(2016年1月25日)、「表記の揺らぎ」の記事でも触れたが、一度どちらかの語調で翻訳を始めたときは、最後まで語調を揃える必要がある。異なる語調が混ざっているとどうしても素人仕事をいう印象を与えるので翻訳者は注意が必要だ。
新聞と異なり紙面に限りはないので、飯島氏のような工夫をしました、という言い訳は通用しない。
今回、何故こんな記事を書いたか。実は白状すると、私自身、よく契約書を翻訳していて語調を混ぜてしまうことがあるからだ。自分に対する reminder 、注意喚起としてこの記事を書いた次第である。