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Kai 5 「追い込む」翻訳と「回す」翻訳

2013年3月30日

最近の英文契約書の「準拠法」は、大体次の様な規定が主流です。

“This Agreement shall be governed by the laws of the State of Arizona without regard to its conflict of laws principles.”

governed by に and interpreted in accordance with が加わることがあります。後、without regard to には、 without reference to、principles には rules とバリエーションもあります。しかし基本は同じです。

米国本社の Terms of Useに対応する日本法人の「使用規約」や、英文契約書の解説本では、よく次のような訳が当てられています。

「本契約は、抵触法の原則に拘わらずアリゾナ州法に準拠するものとする。」

一度英語原文を忘れて、日本語だけを見てみましょう。

ここで質問ですが、冒頭の「抵触法」とは何なのでしょう。アリゾナ州法の中に抵触法という法律があるのでしょうか?それともアリゾナ州法の上にアメリカ法というものがあって、その中にあるのでしょうか?それとも、この種の条項は国際契約にもよく出てくるので、ひょっとして国連かどこかがそのような抵触法を定めているのでしょうか?

これはなかなか面白い問題が絡みますので、いろいろと書いてみました。ご興味のあるかたはこちらへどうぞ。

例文B:「本契約は、抵触法の原則に拘わらずアリゾナ州法に準拠するものとする。」

この「抵触法」の正体は何なのでしょう?

昔々、私がまだ下っ端の法務部員だった頃、毎日のように読んでいた国際契約には、当然準拠法の規定がありました。主に石油メジャーや、大手欧米化学メーカーの契約書でしたが、その頃の条文は大体次のパターンでした。

“This Agreement shall be governed by the laws of the State of Arizona.”

簡単な条文です。特に疑問に思ったことはありません。ところが入社して2、3年した頃ですか、この後に変な語句がつき始めたのです。それが without regard to its conflict of laws principles (およびそのバリエーション)です。

この部分の意味がさっぱり分からずいろいろ調べた結果、次のような事情が判明しました。

「本契約はアリゾナ州法に準拠する」とすることの目的は、どのような場合も、アリゾナ州法を準拠法とし、その法律に従って解釈するということ。しかし、法律はいわゆる実体法と手続法を含む。従って、単にアリゾナ州法と言うと、アリゾナ州法の手続法も含まれる。そして当のアリゾナ州法の手続法を適用した結果「この場合はニューヨーク州法を準拠法とする」という結論が出るかもしれない。となれば、とんだやぶ蛇。よって、何が何でもアリゾナ州法の実体法が確実に適用されるように、「アリゾナ州法のうち、法の抵触に関する原則は考慮しない」という文言が追加された。

この後留学先の Duke Law School で知ったのですが、アメリカでは、異なる国の間の法の抵触よりも、州と州、そして州と連邦との間の法の抵触の法がより大きな問題であり、 Conflict of Laws という講座もちゃんと設けられてました。

つまり、上の例文の「抵触法」とは、アリゾナ州の法律の中の、法の抵触に関する原則を指しているということです。英文の条項ではこのことは明確です。まず、アリゾナ州の法律に準拠することが定められています。その後に、 “its conflict of laws principles” と続くので、この “its” がアリゾナ州法を指すことは素人でも分かります。

ところが日本語の訳文は、「抵触法の原則に拘わらず」が「アリゾナ州法」の前に来ており、かつ何故か “its” が訳し出されてません。従って、これがアリゾナ州法の中の抵触法を指すことは必ずしも明確とは言えません。勿論、国際法務の専門家であれば誤解することはないと思いますが、普通の人が素直にこの日本語を読んだときに、「アリゾナ州法」の抵触法と思う保証はありません。

つまり、英語では明確なことが、日本語では曖昧になっています。学校英語的に without regard to を文章の頭に回してきたのが原因の一つです。ではどうすればよいのでしょうか?without regard toが追加された経緯を考えれば、次の様な文章構造が一番自然でしょう。

例文C:「本契約は、アリゾナ州法に準拠するものとする。但し、同法のうち法の抵触に関する原則は考慮しない。」

「但し」という原文にない語句を追加するのに抵抗があるなら、少ししつこくなりますが、「本契約は、アリゾナ州法の抵触法の原則に拘わらず、アリゾナ州法に準拠するものとする。」という訳し方もあります。

私の経験から見て、法務文書の翻訳は、頭から訳していくのが効率的で訳抜けも防げます。ちょうど歯磨きチューブを端から絞って行くような感覚です。私はこれを「追い込む」翻訳と呼んでます。逆に例文Bのように、学校英語に忠実な方法を「回す翻訳」と呼んでます。

勿論、英語と日本語は文法上の理由で文章構造に差が出てきてしまうので、この「追い込み型」の翻訳を徹底するのはなかなか難しいことです。しかし、それだけ工夫のし甲斐があります。上の準拠法の例の場合、英語原文は、まず本館が完成し、その後で別館が継ぎ足された旅館のような生い立ちです。この歴史的な経緯を考えれば、日本語の訳文も頭から追い込むのが自然だと私は思います。

ところで別の事情で「追い込み型」の方が有効な場面もあります。

例えば “I will give you this book if you come visit me tomorrow.” という英語は、if 以下を文章の頭に回して、「明日来たらこの本をあげるよ。」と学校英語的に訳すのが一番自然です。「君にこの本をあげよう。もし明日来たら。」という訳はやはり変です。

しかし、法務文書の場合はかなり事情が異なります。大きく目立つのは、普段の文章や話し方ではあり得ないような長い文、複雑な構造が珍しくない点です。一つ例を挙げます。

例文D:
“Either party may terminate this Agreement immediately if the other party: (i) assigns any of its rights under this Agreement or violates the provisions of Paragraph 2 above; (ii) fails to make any payment when due; (iii) makes an assignment for the benefit of its creditors, or a receiver, trustee in bankruptcy or similar officer is appointed to take charge of its assets; (iv) files for relief under bankruptcy laws or has an involuntary petition filed against it not dismissed within 30 days; (v) discloses terms of this Agreement in violation of Paragraph 19 below; or (vi) has a substantial change in its ownership.

if以下の文章を上の if you come visit me tomorrow と同じ様に頭に回すと、次の様になるでしょう。

例文E:
「いずれの当事者も、もし相手方当事者が (i) 本契約に基づくその権利を譲渡するか、もしくは前第2条の条項に違反したとき; (ii) 履行期が到来した支払を怠ったとき; (iii) その債権者のための譲渡を行うか、もしくはその資産管理のための財産保全管理人、破産管財人もしくは同様の者が任命されたとき; (iv) 破産関連法に基づく救済を求める届出を行うか、もしくは当人を相手取った非自発的な申立の届出があり、かつ届出から30日を経過してもそれが却下されないとき; (v) 下記第19条に違反して本契約の条件を開示したとき;または (vi) その支配構造に重大な変動があったとき、直ちに本契約を解除できるものとする。」

これでは日本語の主語と述語が離れすぎていて、素早く条文の趣旨を読み取ることは不可能です。実際の契約書では、この (i) から (vi) の一つ一つの文章がもっと長く、もっと複雑になることもあれば、箇条書きの項目が (vi) どころか延々と (x) や (xx) まで続くこともあります。従って、学校英語的な手法ではいずれ破綻します。

こういうときは、遠慮せず頭からどんどん訳していきましょう。例えば次の様な構成です。

例文F:
「いずれの当事者も、もし相手方当事者が以下の各号のいずれかに該当するときは、直ちに本契約を解除できるものとする:

(ⅰ)
本契約に基づくその権利を譲渡するか、もしくは前第2条の条項に違反したとき;
(ⅱ)
履行期が到来した支払を怠ったとき;
(ⅲ)
その債権者のための譲渡を行うか、もしくはその資産管理のための財産保全管理人、破産管財人もしくは同様の者が任命されたとき;
(ⅳ)
破産関連法に基づく救済を求める届出を行うか、もしくは当人を相手取った非自発的な申立の届出があり、かつ届出から30日を経過してもそれが却下されないとき;
(ⅴ)
下記第19条に違反して本契約の条件を開示したとき;または
(ⅵ)
その支配構造に重大な変動があったとき;

このようにすれば、各号の中の文章が長く、複雑になっても、または項目が (x) や (xx) まで延々と続いても対応できます。原文にはない「各号」なんていう言葉を使っていいのか、と躊躇します?そんな必要はありません。実際、日本の法律では、一つの条項の中で箇条書きをする場合は、このようにまず最初の文章に句点を打って、ひとまず完結させ(柱書と呼びます)、その直後に「号」として箇条書き項目を列挙します。有名な例を挙げると:

特許法
第29条(特許の要件)
産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。

一.
一特許出願前に日本国内又は外国において公然知られた発明
二.
特許出願前に日本国内又は外国において公然実施をされた発明
三.
特許出願前に日本国内又は外国において、頒布された刊行物に記載された発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明
2.
特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。

法令文に詳しくない方のために補足しますと、「産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」が柱書で、これに一、二、三の各号の最後までを含めたものが第29条第1項です。その次の「2」で始まる条項が第2項です。第1項には「1」という番号を振らないので、分かりづらいと思いますが。

しかしアメリカの法律では、箇条書きの出だしに “if:” を立てて、全部ひっくるめて一つの文章で処理することが普通です。

Uniform Commercial Code – Article 2
§ 2-305. Open Price Term.

(1)
The parties if they so intend may conclude a contract for sale even if the price is not settled. In such a case the price is a reasonable price at the time for delivery if:
(a)
nothing is said as to price;
(b)
the price is left to be agreed by the parties and they fail to agree; or
(c)
the price is to be fixed in terms of some agreed market or other standard as set or recorded by a third person or agency and it is not so set or recorded.

 

ちょっと戻りますが、上の例文C で、但し書きで処理することに抵抗がある方がいるかもしれない、と述べましたが、実は、英文契約書でも、但し書きにして抵触法原則排除を明確にする方法もあります。例を挙げましょう:

“The Agreement shall be entered into in accordance with, and shall be governed by, the laws of the State of Texas; provided, however, that in the event that any law or laws of the State of Texas shall require or otherwise dictate that the laws of another state or jurisdiction be applied in any proceeding, such Texas law or laws shall be superseded by this paragraph and the remaining laws of the State of Texas shall nonetheless be applied in such proceeding.”
(出典:http://www.ourmoneyfirm.com/InvestmentAdvisoryAgreement.pdf

“This Agreement shall be construed in accordance with and governed by the laws of the State of Ohio; provided, however, that the conflicts of law principles of the State of Ohio shall not apply to the extent that they would operate to apply the laws of another state.”
(出典:http://www.faqs.org/sec-filings/091207/UNIVERSAL-AMERICAN-CORP_10-Q.A/a09-34951_1ex10d9.htm

最後に、準拠法条項を巡る更なる歴史的変遷について最近気がついたことをご報告しましょう。

私はこれまで、英文契約書の準拠法は、アメリカの場合は州法に限られ、アメリカの連邦法が準拠法として記載されることはないと思ってました。私が今まで目を通した英文契約書の数は、控えめに数えても1,000件を下らないと思いますが、準拠法条項に「米国法」または「米国連邦法」と記載された契約書は一つも見たことがありません。アメリカではそもそも、契約や、不法行為、不動産、相続、家族法等は州法の縄張りであり、連邦法が踏み込める分野ではないので、当然のことです(と思ってました)。

ところが今年(2010年)になって初めて連邦法が準拠法として記載されている契約書を見ました。正確にいうと、州法と連邦法が並記されたものでしたが。守秘義務に触れない程度に編集した文言をお見せしましょう(既にお気づきかと思いますが、当サイトでは州に触れる場合は常にアリゾナ州にしてます)。

This Agreement is governed by and shall be construed in accordance with the internal laws of the State of Arizona, without resort to its conflict of laws provisions, and any applicable United States federal law.

実はこの英語条文には若干の瑕疵があるのですが、ここでは触れません。

そこで慌てて公知の情報源(各企業のホームページの利用規約等)をいろいろ調べると、結構ありました。有名どころの例を挙げると:

“You agree that all matters relating to your access to or use of the Site, including all disputes, will be governed by the laws of the United States and by the laws of the State of California without regard to its conflicts of laws provisions.”

(出典:Apple Inc

“Any action related to this Agreement will be governed by California law and controlling U.S. federal law. No choice of law rules of any jurisdiction will apply.”

このサイトは、英語の規約に加えて、ドイツ語、スペイン語、フランス語、イタリア語、スエーデン語、日本語、中国語(簡体字)、韓国語、中国語(繁体字)の翻訳文が並記された、現代のロゼッタストーンのようなサイトで、とても興味深いものです。

(出典:Sun Microsystems, Inc.

“This Agreement, and any disputes arising out of or related hereto, shall be governed exclusively by the internal laws of the State of California and controlling United States federal law, without regard to their conflicts of laws rules or the United Nations Convention on the International Sale of Goods.”

(出典:Salesforce.com

ただ、依然として州法のみを挙げている企業が圧倒的に多いように思いました。日本でも知られている大手企業の例を挙げると、アマゾン、グーグル、HP、ボーイング、コカコーラ等、どれも連邦法については触れてません。つまり、変化はまだ始まったばかり、なのかもしれません。この動きの理由は何なのでしょう。国際契約が増えて、州法だけではなんとなく心細いというだけのことなのか、具体的に何か、連邦法を加えておけば防げたのに、と後悔する事件があったのか。事情はよく分かりません。しかし、今後注目してみる価値はあると思います。

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