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kai 2 原稿調理の下拵え

2013年3月27日

翻訳を行う場合には、拠り所となる一本の筋が必要です。すなわち原稿です。

最初に検討すべきは、紙か、電子ファイルかの選択です。これにより仕事の仕方も随分異なります。最近、クライアントから受け取る原稿はほとんどWORDです。たまにPDFで受け取りますが、EXCEL や PowerPoint は稀です。

ところで、クラシック音楽の演奏を観ていつも思うのですが、譜面は間違いなくめくれているのでしょうか?慌てて2枚めくったりして。譜面台を電子式ディスプレーにすれば、曲の進行に合わせたページ表示も簡単でしょう。演奏者も演奏に専念でき、もっと素晴らしいコンサートになるのでは。そう思いませんか?しかし、まぁ、当分の間は実現しないでしょう。理由はいろいろありそうですが。

実は翻訳作業も事情は似てます。電子ファイルはとても便利ですが、全面的に頼れるものではない、というのが今の実感です。私は全て紙にプリントアウトし、それを原稿として最後まで使います。途中で原稿を変えることはしません。注 

もっとも作業中に電子ファイルを補助的に使うことはよくあります。一番多いのは、原稿の中の特定の文字を検索する時です。

しかし、原稿には少し下拵えをします。電子ファイルの役得も少し利用します。
ご紹介しますので、お時間がある方はこちらへどうぞ。

翻訳原稿は、宮大工にとっての木、石工にとっての石に喩えることもできます。つかみ所がないように見えて、鋸(のこぎり)や鑿(のみ)を入れやすい目がちゃんとあります。作業を始める前に、この目をよく読んでおくことが重要です。この目が見えるように、原稿に少し下拵えをします。

冒頭に述べた通り、最近はほとんどの原稿を電子ファイルで受け取ります。紙にプリントアウトする前に、パソコンの機能を活用して最初の下拵えをします。次に紙にプリントアウトして更なる下拵えを加えます。注 

PDFや、ファックス等、テキストファイル以外の原稿が送られてきた場合は、残念ながらパソコン上での下拵えはできません。諦めます。即座にプリントアウトして作業に入ります。OCRで読み取ってテキストファイルに変換することはしません。OCRの精度はかなりのものですが、まだ十分とは言えません。他の分野の翻訳は知りませんが、法務翻訳の場合は、ちょっとした誤読が致命傷になりますので今のところは敬遠してます。

ここでどのような下拵えをするのか、具体的にご説明しましょう。実例をお見せすることは守秘義務があり勿論できませんので、私が適当に作成したダミーの英文契約書を使って話を進めます。

1. まず電子ファイルで文字を拡大する
これが受け取ったファイルの冒頭の2ページとします。
最初の2ページ
これではあまりにも字が小さいので、拡大します。今度は別のページをお見せしましょう。
拡大版

文字の大きさは14ポイントにしました。行間も見やすい幅にします。ここまでは大した工夫ではありません。

次に、WORDの全置換機能を使って、文書の中のピリオド(つまり . のこと)と、丸括弧(つまり左端の括弧 ( と、右端の括弧 ) のこと)、更にはthat、 fail、 and、 event、 not、 noif、 provided、 exceptを赤色にし、かつ太文字にします。このとき、and、 if、 not、 no は「完全に一致する単語だけを検索する」にチェックを入れて置換します。そうしないと land や different、notice、normal 等の単語を拾ってしまいます。これはつまり、 . を . へ、 and をand へ置換するということです。

次に同じように文書の中の or を青色の太文字に全置換します。これで次の様になります。

拡大版色つき

この赤字青字にしたピリオドや単語が取っ掛かりの目印になります。

次に、ピリオドを目印にして、文章単位を区切る線を入れていきます。同じように、 provided, however や except を目印にして区切り線を入れていきます。( )の中は黄色のマーカーでハイライトします。作業は少々粗くても大丈夫です。すると次のようになります。

拡大版区切りつき

これで下拵えが完成しました。

区切り線は、木目や石の目の様なもので、これで翻訳作業の最小単位を切り出せます。言わば、原稿の解体作業です。基本的にはピリオドで区切りますが、他に、 provided, however や、except の冒頭でも区切ります。これらは、日本語の訳文ではほとんど「但し書き」扱いにでき、一つの文章単位になるからです。箇条書きになっている場合は、項目毎にも区切ります。

次に、何故 that、 fail、 and、 event、 not、 no、 if を赤字にし、 or を青字にするのかを説明しましょう。これらの単語は、原稿を読み進むにあたり、provided, however や、exceptに劣らず、目印の役割を果たすからです。原稿中の「思考の流れ」の切れ目、変わり目や、趣旨の方向性(肯定か否定か等)がさっと目に入ってきます。and と or はいずれも接続詞ですが、集中力が欠けているとうっかり取り違えることがあります。その凡ミスを避けるため、 or だけは青字にして目立たせます。法務文書の場合は、表面上は凡ミスでも、結果が致命的ということがありますから。

目印に使えそうな単語はもっと思いつきます。しかしこれ以上に増やすと、かえってノイズになります。これくらいが丁度良いと思います。

上の例は、英語の原文を日本語にする時の工夫ですが、逆に日本語を英訳する場合は、次の単語に色を付けます。

赤色:まず句点の「 」。次に括弧の「 」 と 「  」。そして、「但し」、「ただし」、「」、「こと」、「及び」、「および」、「並びに」、「ならびに」、「場合」、「ない」そして「とき」です。

青色:「又は」、「または」、「若しくは」、「もしくは」です。

目印に使う単語は、原稿が英語のときとほぼ同じです。目的は同じですから。私が適当に作成したダミーの日本語契約書を使って、英訳作業用の下拵えが完了した状態を見てみましょう。

拡大版日本語

こうやってできた色付き、区切り線入りの原稿が、翻訳作業の柱になります。この原稿には、作業中に必要な手書きメモをどんどん加えていきます。それは、自分に対する具体的な指示だったり、単なる「?」マークや「☆」印だったりします。書き殴りになるので、原稿は紙でないと用を足せません。そういえば、楽譜も指揮者や演奏者のメモ書きが結構入るらしいですね。

ところで、日本語から英訳する場合の「単語全置換」には、和訳の場合にはない付加価値があります。ご説明しましょう。但し、少し面倒な説明になりますので、覚悟して下さい。

「及び」、「および」、「並びに」、「ならびに」、「又は」、「または」、「若しくは」、「もしくは」の羅列が異様ですね。これらの単語を全て、色付き・太文字テキストに置換することで、例えば「及び」という漢字表記なのか。「および」というひらがな表記なのか。はたまた両方が混じっているのか。そしてその数はどれくらいなのか等、その文書の様子が事前にある程度分かります。注 全置換をすると、その単語が文書中にあるのか、ないのか。あるとして何個あるのかがプロンプトで表示されます。従って必然的にこの情報が目に入ります。

文書として理想的なのは、漢字表記なら漢字表記で、ひらがな表記ならひらがな表記で統一されていることです。注 最近の法令文は、「および」や「または」等、ひらがな表記が主流です。

しかし、実際には漢字表記とひらがな表記が混じっていたり、「及び」は全て漢字表記でひらがなの「および」はない。なのに、「又は」がなくて、「または」ばかり。そういう、統一性はそれなりにあるものの徹底していない、という例もあります。むしろその方が多いです。

次に、「及び」と「並びに」、「又は」と「若しくは」の違いについて触れましょう。(Kai1でも既に触れましたね)話しをシンプルにするために、それぞれ漢字表記の単語に絞ります。

法務翻訳をビジネスとしてすることを考えてらっしゃる方は、「及び」と「並びに」の違い、そして「又は」と「若しくは」の違いだけでも把握しておくことを強くお薦めします。注 他にも、「乃至(ないし)」の意味、「その他」と「その他の」の違いの把握等も大事ですが、ここでは省きます。

単純に言葉が並んでいるときの接続には「及び」や「又は」を使います。

例:
自動車及び自転車    自動車又は自転車

しかし、並ぶものが増え、その中でグループ分けが必要なときは、「並びに」や「若しくは」を混ぜて、文章構造が立体的に浮き上がる様にするのが日本語法令文の決まりです。契約書等も、基本的にこの規則を踏襲していると考えて良いでしょう。

例:
自動車及び自転車並びにリンゴ及びオレンジ
自動車若しくは自転車又はリンゴ若しくはオレンジ

この違いの説明はネット上で多く見つけることができますし、法律用語に関する説明書や案内書にも必ずありますので、詳しいことはそちらを参考にして下さい。

いずれにしても、これらの接続詞は法律文書では厳密にその機能が区別されてます。従って、色付きにしておくと、文章構造を素早く把握するのにとても便利です。

これには、また別の効果もあります。上で「文章構造を素早く把握するのにとても便利です」と書きましたが、これはその文書が完璧に正しく使い分けをしている場合です。一番良い例が法令文です。法令文は役所の専門家が練りに練って作りますので、「及び」と「並びに」の使い方が間違っていることはありません。しかし、翻訳対象文書は必ずしも専門家が作成している訳ではありません。大企業の法務部が用意した契約書であれば、かなり完璧でしょうが、法務担当者がいない企業が作成した文書や、更には大企業の文書でも、例えば、法務部員以外の人が作成する議事録や覚書、その他社内文書等は必ずしもこの使い分けができているとは限りません。むしろ、法務や言葉のプロを除けば、この規則を知っている人はほとんどいないと思います。

そこで、これらの接続詞の使い分けの様子や分布を見れば、その文書を読む前、つまり下拵えが終わった段階で、なんとなく文書の素性や由来が分かることがあります。文書の一貫性や統一性の有無。別の見方をすると、文書のゆらぎや、ばらつき、更にはテンションとでもいいましょうか。そういうものをなんとなく感じるのです。

例えば、完璧に使い分けをしている文書であれば、専門家が熟考して作成したもので、曖昧な条項は少ないだろう、と前もって見当を付けることができます。大企業の基本取引契約書等が典型的な例です。この場合、原稿の解釈で迷うことはあまりなく、翻訳作業は比較的スムーズに行くだろうと予想できます。ゆらぎや乱れがある文書であれば、法務のプロが作成していない、曖昧さのある文書だろう、と予測できます。契約当事者同士の交渉の過程で様々な提案文が取り交わされ、その結果ゆらぎや乱れが出ることも当然ありますので、その辺りの事情を垣間見ることができる時もあります。

次に、日本語訳と英語訳、両方に共通することですが、文章単位毎に区切るのは、言うなればステーキを最初に切り分けておく様なものです。あらかじめ一口の分量の見当が付きます。全体の量が同じでも、一口分が大きいと大体作業に手間取ります。逆に一口分が少ないと、軽快に作業が進むのが普通です。

いずれにしてもこの様な下拵えをしておくことで、翻訳作業を始める前に、対象文書に対する予想をそれなりに立てることができます。作業の段取りや心構えを整えたり、全体の作業時間を予測するのに大変効果的です。
ここから先は余談になりますが、公開情報を利用して、大企業の文書の例を見てみましょう。大手電機メーカー5社のホームページから、サイト利用条件のページに飛び、「及び」、「および」等の使い分けを調べてみました。

大手電機メーカー5社のホームページ上の「サイト利用条件」での使い分けの状況

及び および 並びに ならびに 又は または 若しくは もしくは
東芝 10 0 2 1 7 2 5 0
ソニー 8 1 1 0 5 10 0 12
パナソニック 3 4 0 1 2 15 0 4
日立 4 1 0 0 2 6 0 3
日本電気 3 4 0 1 0 9 1 1

このように必ずしも完璧に使い分けがなされている訳ではありません。勿論、「又は」と書こうが、「または」と書こうが、法務的な意味に違いが生ずる訳ではないので、欠陥文書ではありません。

ただ、もう少し本格的に作成した文書ですと、かなり完璧になります。大手企業の基本取引契約等は最もいい例です。上記各社のうち、東芝グループの書式はネット上で見ることができます。

これについても上と同じ調査をしてみました。その結果は次の通りです。

及び および 並びに ならびに 又は または 若しくは もしくは
東芝資材取引基本契約書 1 71 0 9 0 86 0 16

これを見ると、ホームページの利用条件とは異なり、基本取引契約では、一貫して「ひらがな表記」の方針が採られていることが分かります。「及び」が一つだけありますが、これは法令名を引用しているため必然的にそうなっているだけです。従って、表記の統一は完璧と言っていいでしょう。注 

但し、別の法令名を引用している箇所で、本来使われている「及び」を「および」にしています。

かなり長い文書ですが、「および」や「ならびに」、「または」や「もしくは」の使い分けもちゃんとされていて、曖昧な箇所はほとんどありません。東芝の資材取引基本契約書はとてもよくできたものです。折角公開されてますので、市販の契約書式集で物足らない方は、文書の構成や、条文の言い回し等の観点からも是非参考にしてみて下さい。

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